GyaO Review Blog[ギャオレビューブログ]

<< 巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)(映画) | main | TOHERT−R#8〜13(9ch) >>
交響詩篇エウレカセブン #19-36(アニメ)
★★★★☆(1月8日まで)

丁寧に書き込まれたメカニズム、きれいで見易いキャラクターデザイン、過激な描写に頼ることのない良心的なエンターテイメント。前回も書いたが、アニメとしてのレベルはかなり高い。

けれども、誤解を恐れずに正直に感想を述べれば、所詮はパッチワークなのだ。全編を通して、あまりにも過去に見たことのある風景が多過ぎる。メカニックデザイン、世界観、風景、キャラクター設定、あらゆるものにオリジナリティーが感じられない。全て、どこかで見たことのあるものばかりだ。特に、あからさまに元ネタの分かるようなものは、見ていてあまり良い気持ちはしない。

しかし何よりも気に食わないのは、世界観の設定と、取って付けたような普遍的なテーマ設定だ。名作と駄作の一つの差異は、作者が描き得ることと描き得ないことを区別できるだけの分別があるかどうかだ。アニメであれ実写であれ、はたまた文学作品であれ、作品を創造するということは創世に等しい。そこで作者が多くを語ろうとすれば、その創られたは世界は作者という矮小な個を超えて広がりを持つことはあり得ない。作者が自らを如何に優れていると考えたにせよ、一人の人間が普遍的な何かを描き得るなど凡そ不可能なことだからだ。けれども、もし作者が黙して多くを語らず、全てを作品の自ら行くに任せるのなら、視聴者(或いは読者)との間に生じる精神的な相互関係の中で、それは矮小な個人の器を大きく越えて普遍の彼方へと近づいていく。この、ある種の逆説的な力こそが、凡そ芸術と呼ばれるものの神秘なのだ。

エウレカセブンは多くを語り過ぎる。そして、多くを予め設定し過ぎる。一人の人間に過ぎない作者の能力を絶望的なほどに超えて、破綻のない世界観と普遍的なテーマを取り扱い、挙句、全てが陳腐なまま留まっている。結果としてより強引な説得力が必要になり、必然性を感じさせないほどに屈折した心理描写が多用され、神秘的であるはずのものは具現化されることで反対に神秘性を剥奪され、納まりの悪い押し付けがましさだけが鼻につくことになる。月光号のなかの人間関係があれだけ魅力的で説得力があるのに対して、話がコーラリアンだかナンだかに移ると急に胡散臭くなるのはそのためだろう。要は、手を広げ過ぎるなよ、ということだ。

と、大真面目に批判してみたが、まあこの手のアニメには初めから商業的な意図も介在しているわけで、それをこんな捻くれた角度から読み解くこと自体がナンセンスだと言われれば、或いはその通りなのかも知れない。のほほんと座って、ポテチでも食べながら観るもんだよ、これは、という指摘も至ってもっともだと思う。ただ、どうしたって批判的に見てしまうのは僕の性分なのだ。それは決して非難しているとか、楽しんでいないとかいうことと同義ではない。だから、これだけ批判を並べ立てた割には星が四つもついているのだ。


DVD:「交響詩篇エウレカセブン」
ゲーム:「エウレカセブン TR:1 NEW WAVE」
CD:「交響詩篇エウレカセブン ORIGINAL SOUNDTRACK1」
漫画:「交響詩篇エウレカセブン」
おもちゃ:「エクセレントモデル エウレカセブン エウレカ」 / 「エクセレントモデル エウレカセブン アネモネ」 / 「ニルヴァーシュ type ZERO」
| thinkingreed | アニメ | 02:56 | comments(0) | trackbacks(0) |









http://gyaoblog.cagami.net/trackback/199955
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2018 >>

このページの先頭へ