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ケイナ(映画)
★★★☆☆(12/9正午まで)

フルCGアニメとして素晴らしいかと問われれば、たぶん、イエス。エンターテイメントとして楽しいかと問われれば、まあ、大体。けれど、そこに込められたメッセージの子供っぽい無邪気さは、むしろ不快ですらある。

CGの映像は確かに美しいし、冒険活劇としてはそこそこ楽しめる。だがこの作品は、そこにしたり顔の押し付けがましいメッセージを込め過ぎた。僕のレビューを何回か読んでくれている人ならば、僕が基本的にメッセージ性の強い映画を好まないことはご存知だろう。本来ならば、ただ僕の好みとして「メッセージ性が強過ぎた」と書いて、それで終わりだ。でもこの作品は、それで終わらせるにはあまりに挑戦的だった。悪意があるという意味ではなく、僕の価値観の対極にいるという意味でだ。

結局この作品は、フリッツ・ラングが80年近く前に「メトロポリス」で描いた世界観から、一歩も抜け出せていない。愚かで、臆病で、運命に抗う術を知らぬ大衆が、知恵と勇気を持ち合わせた英雄によって自由へと解き放たれる。勧善懲悪の善悪二元論的世界観の中、栄光の未来への道はただ一筋示されるのみであり、それは全ての矛盾と他の可能性を覆い隠して天へと続く。その先は光り輝く約束の地であるはずだが、眩しすぎてそこに本当は何があるのか確かめられる者は誰もいない。そんな見せ掛けの自由の胡散臭さが、この作品の基調低音を成している。結局、人々は何からも解き放たれてはいないのだ。

「ほらご覧。今から君は自由だ。」

こうして知らされた自由など、せいぜいが庭に放たれた子犬くらいの自由でしかない。誰かに従うことで手に入れた自由というのは、結局のところ新たな依存か服従を意味するに過ぎない。自由であることのリスクを回避したこんな構図は、既に大戦前からあったのではなかったか!?フリッツ・ラングがそれを描いて許されたのは、彼があの時代に生きていたからであり、今それを描くこととは意味が違う。

この安穏とした、自由への、そして自由を描くことへのあまりにも無邪気な無批判さが、僕には疎ましい。古い神から開放され、主人公に導かれて新天地へと向かうクライマックスが、まるでモーセのエクソダスのごとく描かれているという事実が、全てを象徴している。例え意図せざる演出だとしてもである。彼らは、新しい神に服従することを選んだだけなのだ。

所詮エンターテイメントに過ぎない、そしてだからこそ価値のある映画という娯楽を前にして、思想を掲げて真っ向から反駁するなど愚の骨頂であることは分かっている。けれど、フルCGで作品をつくることへの希望を感じさせるこの美しい映像が、陳腐なメッセージ性で損なわれていなければどんなにか楽しめたかと思うと、僕は少々悔しいのである。


DVD:「ケイナ デラックス版」 / 「ファイナルファンタジー」(これもゲーム発で全編CGの映画)
ゲーム:「Kaena (ケイナ)」(映画とのコラボ)
| thinkingreed | 映画 | 21:37 | comments(0) | trackbacks(1) |









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ケイナ
『KAENA: LA PROPHETIE』 フランス/2002 監督:クリス・デラポート パスカル・ピノン 声の出演:キルステン・ダンスト リチャード・ハリス グレッグ・ブループス        アンジェリカ・ヒューストン キース・デヴィッド  この冒険はきっと、奇
| MOVIE SHUFFLE−映画専門BLOG | 2005/12/08 2:56 AM |
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